息の跡

細いホースのさきからちょろちょろと水が流れ、見えてはいないポンプの音がそれにかぶさるとき、これが音響の映画だと人は忽然と理解する。不穏な津波の音に代わって、即席の井戸がいっときの生を謳歌するが、最後には解体されるしかない。あたかも、それが息の跡だというかのように。傑作である。

椹木野衣(美術批評家、多摩美術大学教授)

長い時を超えて今に伝わるどんな伝説や神話も、実際に机の上で文字に刻まれた時は、きっとこんなふうだったに違いない。それをみごと捉えた監督の「息の跡」が、最後は叫びとなって天に立ち昇る。

志賀理江子(写真家)

絶望のあとに、どうしたらいいだろう。

何もする気がなくなって、自暴自棄になった。しかしふと周りを見ると、日々の生活のあらゆることに試行錯誤を重ね、作り直し、人でも物でも語りかけ、手をかけて粘り強く暮らす人がいて、そういう人たちは本当に強かった。今思えば彼らだって危うい精神状態だった。じゃあ何が違った?彼らは土に触れることをやめないで、仕事をし続けた。クリエィティブに生きることが画面に満ち溢れていて、ただただ感謝の気持ちです。

小野和子(民話採訪者)

「今は昔、世界の果てに、小さなたね屋があったとさ」・・・「ふんふん、あとは、あとは」と言いたくなりました。 それが、震災後の陸前高田での出会いから生まれて、現在をまっすぐに射てくるなんて、ほんとうに心に響きます。
土地の人の目には「変わり者」と映るかもしれませんが、たね屋の佐藤貞一さんを小森さんはその深い哀しみごと、ざっくりとすくって下さった。それを見せて下さった。そんな気がしました。
記録者として、そして何よりも「表現者」として、これからもたくさんの出来事にぶつかっていかれることでしょう。
(個人的にいただいた書簡より)

橋本かがり
(ギャラリー・ハシモト/ハシモトアートオフィス代表)

大変なことを耐えてきた(いる)佐藤さんに向き合う小森さんのうしろで心もとなく立っている自分をずっと感じていました。スーパーマンのような佐藤さんが苗床に布団をかける優しいしぐさが忘れられません。

竹久侑(水戸芸術館現代美術センター 学芸員)

英語で綴り始めた種屋と、カメラを回し続けた23歳映像作家の、朗らかながらも圧倒的な災害の記録。
執念という語さえも散らつく。確かにあった「息」の跡、たとえ盛り土に覆われようと、歴史からは掻き消されまいと。
切実さを覆い隠すかのような二人のおおらかさに観るものはただただ救われ、一度観たら忘れられない。

細馬宏通(人間行動学者)

拾って描く。テープで接ぐ。英語の中に埋め込まれた「ケセン・ダマシイ」。バイブルを掘り進める低い声をとらえた、小森はるかの新しい映画。なんてカメラ!

澤田康彦(『暮しの手帖』編集長)

シン の怪物“大津波”襲来後の、荒涼とした大地にぽつんと残された男。「かつて普通の日本のたね屋だった」彼の生の形が、スクリーンに立ち上がる。大ヒット怪獣映画やアニメーション以上に心さわぎ、揺さぶられるのは、これが実在の人物の本物の戦いだからだ。

三浦哲哉(映画研究・批評/青山学院大学准教授)

棒きれを宙空で構え、土地の千年杉の海抜をやおら測りはじめる佐藤さん。そこそこ!とカメラのうしろでアシストする小森監督。二人は測量技師だ。尋常ならざる真摯さで、一から、手探りで、消え去りつつあるこの世界の在りようをトレースする。映画そのものと出会い直したような、とてつもなく新鮮な感動。

いがらしみきお(漫画家)

「震災体験を伝えたいけど、なぜそれをわざわざ外国語で書いたのか」、その事実に胸を打たれます。そして、とても元気な声で英文を読む佐藤さんに微笑まされました。トーホクにはたくさんの「佐藤さん」がいて今日も日常を生き続けているのだと思います。

濱口竜介(映画監督)

どうしたらこんな映画ができるのか、こんな人が写るのか、わからない。
ただ、『息の跡』は「わからなさ」と徹底的に付き合う覚悟のある人だけが作ることのできる映画だとはわかる。
だから私も同じ覚悟で何度でも、スクリーンの前に座りたい。

佐々木敦(批評家)

画面の向こうから、やたらと話し掛けてくる佐藤貞一さんと、それにタメ口で応える小森監督のやりとりがなんとも微笑ましい。
だがその屈託のない会話は、或る途方もない「失語」によって支えられている。
そのことがはっきりと示されたとき、観客もまた言葉を失うことだろう、私がそうだったように。
だが「失語」が「無言」でも「忘却」でもないということも、ふたりは教えてくれる。
この映画は、こうして撮られ完成されたこと自体に、大きな、とても大きな意味がある。
その「意味」を、多くの観客に開かれることによって育てていかなくてはならない。